聖バーフ教会 ●聖バーフ大聖堂は今から500年前位に造られています。 ゴシック様式です。当時の流行です。バーフは人の名前です。2つの説があります。1つの説は、バーフは聖職でこの街を守る守護聖人でした。もう1つはお金持ちの人でした。宗教と関係ない人です。1500年位前に美人の奥さんがいて14人の子供もいる幸せな生活をしていました。 その人が急にキリスト教に改宗しました。自分の死後のことを考えるようになり、お屋敷もお金も要らないと修道師に寄付しました。寄進した人が死んだので寄進を受けた屋敷の上に聖堂を建てバーフ聖堂としました。歴史的に見ますとこのあたりには2つの聖堂がありました。一つはバース修道院と清教徒の修道院がありました。この2つの修道院の守りのために要塞が出来ました。フランドル地方の2つの川の合流点にそれはありました。この合流点に反映した街がオランダ語で2つの川の合流点を意味するガントから来ています。ゲントには2つの川、スヘルト川とイエ川が合流しています。昔の城壁に囲まれているゲントには運河がありました。 ●現在この右に見えている川もその運河の1つです。中世時代はお金もありますし、ゲント人は、性格は荒いし、何を言われても反対しました。反乱も起こしました。 そのためにも城壁の中に自分を守る建物を造りました。この建物はその建物の1つです。これがお金もちのものだと判るには何処でわかりますか。石造りだからです。ベルギーでは石が取れませんでした。ここでは焼きレンガを作っていました。石はここから150Km離れたところで採取されました。現在、運搬は簡単ですが昔は採石場から運ぶのにも大変でした。つまり経費がかかったわけです。当時は重要な建物だけに石が使われました。ここの人たちはゲルマン系です。 ●第二次世界大戦の話ですが、ベルギーは第一次世界大戦の後に中立を宣言しました。第二次大戦の時も中立でしたが、ドイツはそれを無視して攻めてきました。1940年から4年間統治していました。しかしヒトラーの秘密の命令で、ゲントはドイツと同じゲルマン系なので攻撃しないこととしました。空爆もしませんでした。アントワープは攻撃を受けています。とても重要な地点ですので、ドイツも侵略しました。あそこは大きいスケルト川があり港があるので、そこからイギリスへすぐ行けるからです。ドイツに協力したかどうかわかりません。 |