ルーベンス博物館へ向かう途中 ●昔向こう側はフランドル地方フランスでした。川の両側をつなぐ橋はありません。1938年から向こう側に行くのにトンネルを作りました。地下です。この茶色建物が入口です。現在は3本のトンネルがあります。1本は人間、自転車、オートバイで残りの1本は車専用、そして残りは路面電車です。現在川の反対側は住宅アパートがありとても静かなところです。緑が多く大きいショッピングセンターはありませんが、家賃は大変高いです。アントワープの人口は70万人でベルギーで2番目に大きい町です。16世紀の中ごろから経済の反映が始まっています。1648年オランダは宗教戦争のため川を締め切りました。現在はヨーロッパで2番目に大きな港街です。1番はノートルダムです。 ●アントワープはルーベンスの町といわれています。生まれはドイツですが10歳からこの街にお母さんと住んでいます。ルーベンスの作品はアントワープの大聖堂、ルーベンス博物館、そしてアントワープ王立博物館に35枚あります。全部で3000枚くらいありますがその内35作品だけあります。ルーベンス博物館には3枚あります。大聖堂には4枚作品があります。 ルーベンス博物館 ![]() ●お母さんが病気になり、アントワープに戻ってきました。その後結婚して5年間すみました。この右の建物はルーベンスが購入したものです。オランダ・ベルギーの代表的な石の建物です。左の建物はルーベンスがイタリア様式で設計して建てたものです。バロック様式です。芸術様式です。上のレリーフは古代ローマの模写したものです。8年間もイタリアにいたからその時複写していたものです。 ●左側はアトリエです。作品は3000点ほど作成しました。お弟子さんは100人ほど採っていました。ルーベンスの死後ここは貸家となりました。中庭は自分で設計しました。彼の作品にはよく描かれています。1932年にここはルーベンス博物館になりました。最初は何もありませんでした。本当に使われたものは1脚の椅子だけです。・ここは暖炉があるので居間と思いますが、本当のところはわかりません。 ●玄関から暖炉に繋がっていますし、よくわかりません。次は食堂です。これは47歳自画像です。16歳の若い奥さんと再婚しました。彼女をモデルにしました。エルナ・プルマンといいます。彼女はパセドーシ病だったといわれます。後世の女性の絵画がみんな彼女ぽっいです。ここは絵画芸術を収集して、保管していたところです。300枚位集めました。ルーベンスの時代にもやはり、ここに来なければ彼の作品は見られました。外交官をしたりしましたが貴族ではありません。しかし沢山の人たちがここに来ました。 ![]() ![]() ●ルーベンスが描いたバンダイクの肖像画です。 ●彼女はマルガリータですが、純潔のように描かれています、よく見るとこのペンダントには大変エロチックな様子が描かれています。男女が裸で遊んでいる様子が描かれています。こんな清純な絵画に描かれていますが、公式な貴族の着物ですのでちょっと考えられませんね。 ●この絵は大理石の上に直接描いています。1668年頃のものです。 ●このアトリエにあるルーベンスの絵は2枚だけです。1枚は「受胎告知」そして「アダムとイブ」です。ルーベンスの絵には必ず「赤」と「青」を使います。赤にはべに花、「青」はラピスラズリの粉です。薬局で買いました。 |