ベランダ控えの間
●一階南側のアパルトマンに入りましょう。谷を見下ろすベランダがあります。ここはマリード・バルザックのアパルトマンでしたが、その後は、代々の城主アルノルドド・ギルダル男爵やモンモラシ公爵が特に愛したアパルトマンとなりました。ここはその控えの間で、ほかにアルコーブのある寝室、画室、浴室、衣装室などがあります。この控えの間の天井のスタッコは、ジャン・クリスチャン藩主の作です。天井中央バルシャン伯爵の紋章の傍に、1666年と描かれています。壁のスタッコは1850年代に3年間作品を制作した、ジョセフ・ハルーの作品です。17世紀まで食事は藩主の望む場所で行われました。徐々にアバルトマンの控えの間に食卓を準備するようになりました。18世紀にはこの部屋が食事用に用いられ食堂と呼ばれるようになりました。

モンモラシー公爵の寝室
元はマリーの寝室でした。寝台のある部分をアルコーブと呼びますが、このすばらしいアルコーブは1655年から1660年ころ作られました。この地方で始めて作られたアルコーブの一つで、当時のパリの流行を全て取り入れたお城を作りたいとのマルシャン伯爵の意向がよく表れています。しかしこのアルコーブの装飾はいささか謎に包まれています。天井に描かれている空を背景に、花環を持つ子供の絵の明るく楽しい色彩は、この部屋の最初の主人マリーだったことを容易に想像されます。ところがアルコーブ正面上の両側を飾っている軍隊をテーマにした豊饒の角は、なぜこんな装飾があるのかと考えさせられます。これは上階にあるマルシャン伯爵のアルコーブを飾っていたもので、18世紀になってからここに移されたようです。当時はここに城主が住んで、婦人は上階に住んだため装飾が変えられたのではないでしょうか。絵はジャン・モレル作とされます。17世紀末から18世紀はじめのリエージュの画家です。金箔を施された木製家具は、コンランシー公爵のものです。