王の家
●さて、市庁舎の向かいの灰色のすごい建物がご覧になれますが、これは「王の家」と呼ばれるものです。王の家と呼ばれていますが、王様が住んだ事はありません。12世紀からあったものですが、もともとパンの市場だったり、税務署に使われたり、刑務所に使われたりして王様は住んだ事はないのですが、1515年にカルロス5世が設計したものですが、いままでに火事で焼けたり攻撃を受けたりして、破壊されました。19世紀の終わり頃に1500年代の設計図にもとづいて、正確に再現されたものです。今はブリユッセル市の博物館として使用されています。
●あとぐるっと見回して見ますと、古い建物がありますが、全部1695年以降のものです。1694年にフランスのルイ14世の配下の兵士が48時間でこの広場を破壊尽くしてしまいました。しかしながらこの街の人たちはお金持ちだったので、その後数年間で現在のように復旧しました。
●さて真ん中に女性の像がついた建物がありますが、織物職人のギルドハウスです。その隣は当時の絵描きさんの集まりの建物でした。織物商人の隣に絵描きがいると言うのは意味がありまして、手広く商売していた織物商人は製品をいちいち持っていくのは大変なので、カタログがいる訳です。でカタログを作成していたのが絵描きさんと云う訳です。正確に描いていましたが全体的には構図はまずいのですが、細部を本物そっくりに描くという得技がありました。・その左は役人の詰め所でした。
●1697と描いてありますが、この3件は当時のブルジョアの家でした。
●絵描きの家には1860年代にビクトル・ユーゴがしばらく暮していました。「ああ無情」で日本でもおなじみの作家です。政治的問題でここに亡命しました。ここベルギーで「ああ無情」は書き上げられました。ワーテルローの古戦場に行きますと、ビクトル・ユーゴの記念碑が建って入りします。ベルギーでは有名です。あの建物から広場を見てフランスに残っている奥さんに手紙を書いています。
●さて、こちら6軒ある建物です。ギルドハウスだったところです。左から「パン屋」「あぶら屋」「船大工」「家具職人」「箍や」「雑貨や」でした。パン屋さんの間口が広いですね。昔は間口の広さで税金が掛かっていましたので、パン屋さんが一番儲かっていた・・はやっていたという事ですね。
●ギルドとはサクソン(アングロサクソン)の言葉で「支払う」と云う意味でした。ギルドは品質が高かったものです。しかしギルド制度は崩壊していきます。